A Way To Now(here)

Jan 129 min read

無拠点であり多拠点の始まり

ヨーロッパのとある大国に住んで早くも5年が経過した。そして、私はその国で外国人として生きていく権利を、昨年をもって捨てた。

その国に移住することは自分にとっての夢だったし、それを叶えてくれたのは紛れもなくテクノロジーのおかげ。

移住してからも、テクノロジーを使って仕事をし、生活をし、それは自分とは切っても切り離せないものになった。

テクノロジーの世界には「できないことがない」ように思えた。簡単に国境を超え、言語を超えて繋がれる。だからどこに住んでいても関係なく仕事ができて、人と繋がれて、時差さえも味方につけてアイデア次第でポジティブでクリエイティブな生活を送れる。

テクノロジーの好きなところは「待たなくていいところ」。他の誰かに期待するのではなく、技術の力を借りて自分の力を拡張したり、無いものを補うことで物事をガンガン進めていける。だから、本質ではない部分にエネルギーを費やす必要なく本来の考えるべきもっと難しい問いに直面できる。それは多くの人にとってはタフなことかもしれないけれど、私にとってはそういうことを毎日本気で考えられることこそが「生きてる」実感に繋がる。

そうした生活を某EU大国で、自分の身を以て実証できたことはとても幸いなことだった。多くの人が解決策が分からず悩む問題も、インターネットの世界には全く存在しないように思えた。ある意味バブルの中にいるとも言える。それが良いか悪いかは別として、私はその真っ只中にいてスピードを感じながら生きていた。

そんな中、唯一私を苦しめていたのは「行政」だった。外国人として海外で生きていく上で避けては通れないビザ、税金、住民登録など。こうしたものの概念自体が、基本的に「定住」を前提として作られたものであり常に変化し続け、移動し続けるタイプの人間にとっては不都合なことがとても多かった。

最初は「これも海外で暮らすということの一部なんだ」と言い聞かせ、こうした手続きで政府が要求することをきちんと提供し、さまざまな煩雑な手続きにも自分の考え方や価値観を変える形で順応しようとした。事実、そこでの経験が結果として今の新しい仕事につながっているという意味では、その過程で学べたことも多い。だが、移動生活をしている上で、こちら側の努力だけではどうにもならない「限界」を感じることとなった。

その結果、苦渋の決断ではあったけれど某国を離れる決意をしたのだった。

私が外国人としてそこに暮らしていてもっとも苦しかったことは、「自分が常に嘘をついているような気分にならざるを得なかった」ことだ。確かに煩雑な手続きに時間を取られることや、態度の悪い役所の人々に対するストレスもあったけれど、そんなことはもっとたくさんの苦労がある海外生活においては微々たる苦労だ。

思えば税務署での登録の時点から私は自分の職業を正確に書き記すことはできなかった。私は当時、翻訳者という"お堅い"仕事に合わせて、ブログなどのアフィリエイト収入など他にも複数のインターネット業態を組み合わせた仕事のスタイルをとっていたが「アフィリエイト」などと書けば役所の人はまず理解できない。そして業態が新しすぎるため職業として信頼されない。つまりビザを取る際の審査に影響するので、ここでは"お堅い"職業で統一するべきだとコンサルから言われたのだった。

しかし私の仕事はその時々によって、翻訳の比重が大きいこともあれば他の仕事が大きい時もある。その時々によって自分のことを「翻訳者」と名乗ったり、「アフィリエイター」と名乗ったり「経営者」と名乗ったりする。そうした自分のアイデンティティと国に登録してあるアイデンティティが一致しない不均衡さに常にどこかしらモヤモヤを抱いていた。どうしてありのままを伝えられないのだろう?という気持ちが常にどこかにあった。別に嘘をつきたいわけじゃない。そして、厳密に言えば嘘をついているわけじゃない。でも、そっくりそのまま正直であれば物事はとても面倒なことになる。それは私にとってだけではなく、役所にとっても。だから、お互いこのままの方が結果としてwin-winとなってしまう。こうしたモヤモヤは意外とストレスになる。

日本人としてビザ更新の必要もなく日本で普通に暮らしているだけなら意識しない点かもしれないが、ビザ1枚で首根っこを掴まれている外国人にとってこうした齟齬があることは必ずしも気持ち良いものではない。他にも色々書けることはあるが、今後小出しにしていこうと思う。こうした記録を残しているのは、私自身、そこに挑戦して新しい生き方を見出していく覚悟ができたからだ。だから、行政の手続きに関してどんな場面でどんなことを課題と感じたか、正直な気持ちを書き記していこうと思う。そして、今後はそういった行政の仕組みを変えていくことに積極的な小国と協力して、一緒に活路を見出していけたらと思っている。

無拠点であり多拠点な分散型ライフスタイルの始まり。

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